746 Giddies!

いろいろ発信したい、というか発散したい。オーストラリアでのバイ(マルチ)カルチャー的生活に葛藤しつつ、日々綴っています。*不定期更新

「Still Me」by Jojo Moyesを読んだ感想

 

 

Goodday!

やっと、オーストラリアに来て一ヶ月が経った。

なんだか職場でドタバタしていたら

あっという間だった。

 

https://gsue.de/wp-content/uploads/2017/04/bee-677330_960_720.png

 

首題に表記した「Still Me」はこっちに来てからすぐに見つけた本であるが、

なかなか時間がなく、読み切るのに時間がかかってしまった。

 

実は、2016年にこの本の前作「After Me」の感想を書いたのだが、

あまりにも文章力がなく、何も伝わらないので

この物語のあらすじをまとめ、感想へと移りたい。

 

映画化された第1作:Me Before You(邦題:世界一嫌いなあなたに)

www.youtube.com

 

あらすじ

ちょっと風変わりなルイーズ・クラークは家族のために仕事を探し回っていた。そんな中、彼女の”ポテンシャル”がウィル・トレイナーの介助師としての仕事で試される事になった。

ウィルは若くして裕福な銀行マンだったが、ルーに出会う2年前のある日、交通事故によって肢体不能になってしまった。彼は昔の「自分」を懐古し、現在のある姿を受け入れずにいたのだが、ルイジアのポジティブな姿勢と献身的な支えによって彼の人生に対する価値観が少しずつ変わっていく。

しかし、彼は最終的にルーに膨大な遺産を残して安楽死を選択する。(ネタバレ)

感想

映画がリリースされた時は、賛否両論だったのを覚えている。

個人的には感動したというか、

深く考えさせられる映画だったのでおすすめだが、

中には「Euthanasia(安楽死)を肯定している」

「一生懸命生きようとしている人に失礼」といった声があった。

 

ハッピーエンドではないことには確かに、

すっきりしない映画だった。

 

 

二作目:After You

2015年に出版されてから、またもやベストセラー小説となった。

http://www.kmart.com.au/wcsstore/Kmart/images/ncatalog/f/1/42414391-1-f.jpg

 
あらすじ

Me Before Youから約半年経ち、

ウィルが残したロンドンのアパートでの暮らしから話がスタートする。

ウィルの安楽死という決断を変える事ができなかった罪悪感と、

ウィルを亡くした喪失感から、物事に気合が入らないルー。

いつものように空港でのアルバイトを終え、

お気に入りの屋上バルコニーでお酒を飲んでいた。

酔いすぎたのか、足を滑らせ全治数ヶ月の大怪我を負う。

 

しかし、誰が夜中に救急車を呼んだのか、?

その正体は、ウィルの娘を名乗るリディアであった。

救急救命士のサムとのロマンス、

ウィルを失った喪失感との葛藤、

ウィルの血を引くリディアを守らなければという責任と母性の中で、

ルーはまた”誰かのために”一生懸命走り回る。

 

感想

ウィルを失ってからの1年ほどを描く物語ということで、

とにかく内容が濃い小説だった。

正直なところ、一貫性というか、何を伝えたい物語だったのかは、

三作目の「Still Me」を読むまでわからなかった。

しかい、テンポの良い小説なので、飽きずに読めると思う。

(3作目を理解するには2作目は必読)

 

3作目(最新作):Still Me

2018年1月にリリースされた最新作。

https://i.ebayimg.com/images/g/KbwAAOSw3wVafCdl/s-l225.jpg

あらすじ

ネーサン(ウィルの専属看護師)の声がけによって

ルーはニューヨークに移り住む。

付き合い始めのサムとは遠距離恋愛になってしまうが、「SAY YES」何事にもトライすることをアドバイスしてくれたウィルの意向に従うことにしたのだ。

大金持ちのゴプニクスの妻にアシスタントとしてつき、

持ち前のポジティブさで彼女をサポートする。

しかし、あることがきっかけで解雇され、

サムともうまくいかず、、

絶望の中、ウィルにそっくりなジョッシュに出会う。

ニューヨークでの葛藤の中、

彼女が「自分とは誰なのか」を見つけ出していく。

 

感想

467ページに及ぶストーリー。

こんな長い本を日本語でも読んだことがなかったので、読み切れるか心配だった。

実際、続きやオチが気になってなんども後ろから読もうとしてしまった。

しかし、じっくり読んで、ルーの身の回りに起きることに一喜一憂した。

それくらい、ルーの世界に入り込めたストーリーだった。

 

セッティングが「ルーにとって新しい土地でのチャレンジ」であり、

「金と名声に満ちた人たちとの生活」。

この2つがなんとも私の現状と重なりあい、共感しながら読むことができた。

 

「自分とは」という問いかけは、私にとっても大きな問いかけで、

なりたい自分を見つけ出す過程にいる私に大きな影響を与えてくれた。

 

 

特に共感したシーンは以下。

 

上司との会食に誘われたジョッシュが

"Sorry, Louisa, but they're not really appropriate for this evening."

(「ごめんね、ルイーザ、でもその服は今夜にふさわしくないよ。」)

と言って、ルーに着替えるように求めるシーンがある。

 

そこで服飾関係で働いていたことのあるおばあちゃんに助けを求める。

 

(Lou- what should I wear?)

"Exactly what you have on."

(Lou-But he said it's not suitable.)

"For who? Is there a uniform? Why aren't you allowed to be yourself?"

 

誰がなんと言おうと

自分に似合う服を着るというのが彼女のアドバイスだった。

 

私は特にファッションに興味はないが、

服は一番自分を表現し、見せつけられるアイテムだから、

こんなこと言う人とはどっちにしてもいつかうまくいかなくなる。

(言われたことあるので、気持ちはとてもわかる 苦笑)

 

ルーのファッションセンスが奇抜なのも、

「自分」の表現方法を象徴していたのだと気づいたフレーズだった。

 

3部全て読んでの感想

 

この3部作を全て読み切って、

「自分とは "who you really are"」という問いかけが

大きなテーマであることがはっきりした。

 

1作目の映画を見終わった時は、

「なぜ、あんなに幸せそうだったのに死を選んだのか」

と疑問に思っていた。

 

しかしその疑問はこの3作目を読んだことによって、クリアになった。

 

「自分」の求める「自分」であることの大切さ、

それをウィルは訴えていたのではないか。

 

映画の中で(もう一回見た笑)、

ルーとウィルがお気に入りのベンチで

さらに素敵な場所とウィルが思うパリについて話していた時、

 

”I want to go there as Me. the old me.”

(「本当の自分として行きたいんだ。昔の自分。」)

 

とウィルが言ったのは、

肢体不全のウィルはウィルではないと感じていたからであるだろう。

 

 

「Me before you」の意味をじっくり考えてみても、

「あなたに出会う前の私」と

「あなたの前での(in front of)私」との間での葛藤が感じ取れる。

 

安楽死は、究極な形での「過去の自分を捨てる」という象徴なのではないだろうか。

 

とにかく、今思い返して見れば、

ルーの身の回りに起きていた事柄、

(例、ルーの姉トリーナの新しいパートナーや母ジョージーのフェミニスト化、ウィルの娘の家出)

それは全て「自分らしさ」を象徴する。

 

自分探しとは、どんな人も通るJourneyである。

誰が読んでも共感するフレーズが一つや二つあるのではないか。

 

それから、ルーのあのお喋りなフレーズを思いついた

作者のJOJOは素晴らしいユーモアの持ち主であるに違いない。

 

 

総括して、Me Before You, After You, Still Meは読んで大正解だった。

 

オーストラリアはアジア圏(?)

 

ニュージーランド留学中は「貧乏学生366日奮闘記」としてやっていたこのブログだが、就職を機に「746 Giddies(746 Good Days)」に変更。

2年間のオーストラリアでの生活を徒然なるままに。

オーストラリアのスラングで、Hello を"Goodday"というのだが、

それが"Giddie"に聞こえるので(私だけ?)、この先2年間毎日がgood dayだといいなという願いを込めて。

 

はじめに

 

到着直後はなかなか余裕がなく、あれやこれやと気づいたり、記録に残したり、といった時間がなかった。

 

でも、3週間経ってやっとこうやってブログを書く時間もできてきた。

 

イースターホリデーで4連休だから暇。というのもあるが。)

 

さて、本題「オーストラリア アジア圏疑惑」の浮上に関して触れていく。

 

 いろんなバックグラウンドを持った人が集まる場所・メルボルン

 

私が移住したのは(正しくは仕事で2年間の転出であるが)、オーストラリアの東南にあるビクトリア州メルボルンである。

 

観光地としても栄えているようで、メルボルン市内はカメラを持った人たちが街を練り歩いている。

 

一方、区域によってはスーツをビシッと着こなしたビジネスマン達がランチタイムを使ってビールを一杯… (私もやりたい…)なんて光景も見かける。

 

聞くところによると、メルボルンという街には色々な文化や民族的バックグラウンドを持った人が集まっているため、ビジネステスティングにぴったりな場所なんだそうだ。

 

つまり、ここで売れるものは世界で売れる。らしい。

 

マーケティングのために、店ではどんな人がどの商品を買ったか分析しているようなブランドもあるらしい。

 

要するに、いろんな人がいろんなことにチャレンジしている街と言えるだろう。

 

本当にアジア系移民が多い?

 

こちらで知り合った友人(英国系)と話していた時にこんな話題になった。

“It was common to have Indian foods for takeaway back in London. But here, Vietnamese is very popular. And Dumplings of course.”

 

確かに。

Phoのお店がいっぱいある。

(個人的にサンドイッチの方が多いと思うが、

人気と言ったら確かにそうかもしれない。)

 

いろいろ調べていると、

 

1850年頃に金が発掘され(ゴールドラッシュ)、多くのアジア系労働者がオーストラリアに移住する。

 

この時のアジア系移民の多くが広東人(Cantonese、中国の沿岸部南地方の人々のこと)だった。

 

それから、白豪主義やら、第一次世界大戦第二次世界大戦、等々いろいろあって…

 

1975-1985年に、ベトナム戦争から逃れてきたベトナム難民を引き取ったらしい。

 

ほう、だから多いのか。

 

と言っても以下の通り出生国別人口を抜粋するが、数字の上ではあ意外とアジア系人口は少ない。

 

中国(台湾を除く)2.2%

ヴェトナム1%

その他フィリピンやマレーシア1%以下

 

参考:3412.0 - Migration, Australia, 2015-16. (2018). Abs.gov.au. Retrieved 2 April 2018, from http://www.abs.gov.au/AUSSTATS/abs@.nsf/mf/3412.0

 

 

観光客だった

 

2016年の統計局のコメントには、

「2020年までに4割の観光客が中国人になると予測している」とまである。

 

参考 Chinese poised to overtake Kiwis as Australia's biggest tourism market. (2017). ABC News. Retrieved 2 April 2018, from http://www.abc.net.au/news/2017-10-27/chinese-tourists-to-overtake-kiwis-in-australian-market/9087154

 

 

アジア系と一口に言ってしまったが中国人だけじゃない。

 

語学学校が充実していたり、

ワーホリにぴったりの環境だったり、

韓国人や日本人にもかなり人気の地区らしい。

 

まとめ

 

最近感じること、「オーストラリアはアジア圏」疑惑が解消した。

 

 

中華系・ベトナム系レストランが多いな、

アジア人多いな、

と思うけど、そのほとんどが住民ではなく、

観光客または就学の為の一時的転入者だったようだ。

 

しかし、オーストラリア式アジア系経済説はぬぐいきれない。

調べるのに時間がかかりそうなので、次回のトピックにすることとする。

 

以上

 

 

 *人種で差別しようというのではない。特記しておくが、アジア系が良い/悪いといった記述は一切ない。

 

"I'm depressed." I said, and here's how my male boss reacted.

 

 

When I've told my male boss that I have a mental instability, the first he asked me was "Do you have a monthly period?".

 

f:id:moEmiHaena814:20171007222140j:plain

 

I was shocked, by the insensivity and the attitude just like he knows everything.

That can be a sexual harrasment, but also it's a mental harrasment.

 

Well, I don't know why that  happened because I showed him the medical certificate that my doctor writes for me not to work too much and to have a little excuse in case I can't really go and work.

 

Next, he asked me "Did you have a bad experience in the past?"

I only said "No" with my blank face, but inconfidently.

 

 

I have counselling every other week.

We explore how come I became depressed.

While talking to her, I'm always crying, but after that, I just want to be back as a normal Me. However, sometimes, I just CAN'T. 

Please forgive me, when my eyes got red, I might not be able to have a nice conversation with you.

But it's not your responsibility to cheer me up.

I only wish people never mind that, and have a normal conversation.

If that's in person between me and you, then I wish you to be just as normal as another day.

 

 

The other day, he asked "Did you take the medication?"

Because I was  annoyed and probably was painting on my face saying "I'M ANNOYED".

That wasn't because I didn't take the medication, but because he annoyed me.

Depression at most of the time, does not have a serious big factor, but many a little makes a mikle.

I am also a human - I get angry, sad, and sometimes happy.

Don't shuffle your responsibility with my mental illness.

 

Yes, I sometimes need medication to back calm down. Otherwise I could keep crying all day on my bed.

I take them, when I need them. When I don't need them, I dont. Because bipolar is difficult to be on one medication.

If I take them when I'm ok, I feel like I'm not Me.

So we have to keep looking, whether I'm on the stable lap or depressed or high tension.

If I take the anti-depression medication when I'm depressed, the side effect is that I could be very agressive, easily to get angry and too excited.

 

 

Please, do understand me, no one out there cannot heal me, nor even hurt me more, because this is a pain in deeeeeeeep inside of my brain that my memory keeps hurting itself.

It isn't easy to just stop having the traumas and PTSD.

Sometimes I just need time to process things going on in my brain.

 

There's my hope; one day, people would be more torelant with this issue. At this time, I feel, people are almost allergic to the mental illness. A lot of people don't even know how to react to it.

I think, (though not for every depressed one), it's ok to let them be alone for a bit when they need time. But it's not ok to treat like an abnormal.

It's ok to let them be depressed cause it's like a flu. The fever is to kill the virus, isn't it? But it's not ok to dig it up and say "see, this is what you are struggling with." because we already know it at most of the cases.

 

If they needed to talk about it, they would open their mouth to the trusted person. So if you are the trusted one, please do not close your ears just because you don't know how to solve the problems. Just LISTEN. It's ok to speak nothing. We do not need your words or resolutions, but ATTENTIONS.

 

7th of October, 2017

Moemi

 

"I can't speak English." criticism

"The very only English phrase you should never say to anyone in the world"

 

I see so many Japanese saying "I can't speak English", probably means more like "I'm not good at speaking English". That possibly has been led by the cultural factor like being moderate. However, imagine when you encounter someone who's saying "日本語が話せません",,, would you like to talk with them more? I reckon most of the readers of this blog will say "NO", right? If you are really keen to talk to the person, or in a negotiation-based task, you may have to talk to the partner, you have to show your passion for keeping the conversation.

 

So what should we say? I personally think that we don't have to say "I'm not good enough" because it doesn't matter, as long as we can communicate. Communication isn't composed of not only verbal language but also visual and most importantly the 'will' to be understood.

 

Last week, I happened to attend a seminar as one of the interpreters the other day, and I found so frustrating to just oversee how much the Japanese are taken advantages of due to the lack of communication skills. Japanese negotiators are just responding to what the agents have to offer, not demanding anything.

 

One of the coloured pictures of the experience in the seminar was that the time a high school executive in Japan was talking to the agent that is taken charge of the international students' programs all over the country of New Zealand. The Japanese high school probably wanted to send a huge number of English learners in a variety of level to NZ College, and they wanted to do the selective exams according to their policy. But, alter all, she just flowed from the opposition's opinion and didn't get anything out of the negotiation. From my observation, the opposition party couldn't come to the decision because he didn't get what the executive wanted. 

New Zealand. The Japanese high school probably wanted to send a huge number of English learners in a variety of level to NZ College, and they wanted to do the selective exams according to their policy. But, alter all, she just flowed from the opposition's opinion and didn't get anything out of the negotiation. From my observation, the opposition party couldn't come to the decision because he didn't get what the executive wanted. 

From my observation, the opposition party couldn't come to the decision because he didn't get what the executive wanted.

 

The other negotiator came to me and said: "We are doing this, but I want this, would you translate and tell him that?"

That's the right attitude I thought. And that is so I tried my best to tell the passion toward getting the agreement between the agent and the school in Japan.

 

It is totally fine not to be able to speak English well, but what you need is the positive attitude and 'will' to make the agreement 'win-win' situation. It doesn't really a big problem whether you have the interpreter or not. All you need is to talk with a full intention.

 

What I who is barely 22 years old want to say to the older people

全国のおじさま・おばさまへ
私は若いことを誇りに思っていて、若いからこそのエナジーや猪突猛進感を大いに活用して突き進んでいるつもりです。22歳で誰よりも成熟した考え方をもったり、それを実際に行動に移したり、ということは期待もしていないですし、実際に早く世間を知りたいと思ったところで、急に明日わかるようになるわけではありません。みなさんが、今まで時間がかかったように、私にも時間が必要で、もしかしたら20年後、「ああ、あの頃は若くて失敗ばかりしていたな」と思い返して後悔するかもしれません。でもそれが悪いことだとは思っていません。人間誰しも間違いがあって、そこから学んで、生意気な時期を乗り越えて、自然と八方美人になれるようになるんだと思います。私はまだ、学びの途中で、急ぐ必要も感じていません。ゆっくりじっくり時間をかけて、少しずつ大人に近づけば良いと思うのです。だから、急かしたり、誰でもわかってるようなことをあえて言わなくても、わかっているので安心してください。みなさんが思っているほど私たち20代前半、特に就職前の学生は、バカじゃない。ただふざけて笑ってるだけじゃなくて、ちゃんと世間を見て成長しています。いちいち言葉で言われるよりも自分で体験した方が説得力があるということは、きっとご自身も感じてきたことでしょう。
 
Dear all older people who are like twice as old as me,
 
I'm proud of myself being a young girl who might be silly, just like you are proud of yourself being old enough to critically see the world. I have distinct energy and courage to make mistakes, but learn new things at the same time. I'm not expecting myself to be really matured in my 22nd year of life (which is probably like 20% of my life still) and to act like a real adult. I wish I could, but you know we can't be matured by tomorrow no matter how much we try. Maybe we might regret what we did in the future when we' re like 40th but I don't think it's truly bad. Everybody makes mistakes, and everybody has a little time when they are insanely rude, but we will eventually learn how we want other people to see us. I myself am still in the process of learning, and not necessarily in rush. I think it's ok to take time just like my older friends did. Therefore, please do not push me in rush. Please do not tell me off because I've probably noticed what you might say it's good or bad, but I just need time to process. I am NOT that stupid as you might think of me or young generations especially new graduates. You probably know more than me how that feels: no matter what we hear, it doesn't really change us. What can cause us to change is just experiencing.
 
Warm regards,
Moemi
 
 

大きなことをしなくてもいい

 

こんにちは。もえみんです。

ブログ開設から1年が経ちました。

いつも読んでくださっている方、ありがとうございます。

これからもよろしくお願いします。

 

ブログを設立した時は、友人の影響を受けて「ブログで稼ぐのもありかもしれない!」とかいろいろ考えていましたが、いま思ってみれば自己満で書いているので、実現する余地もなく、一周年を迎えました。

 

さて、今日のお題は、「何を成し遂げるか」です。

 

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大学4年生って、高校からの飛躍的な成長、社会に対する意見の確立を果たして、なんだか、「俺ってなんでもできそうな気がスル!!」と思ってしまいがちですが、

人間、そんなにでっかいことを一発やることを望むよりも、コツコツ積み上げていくものだと最近しみじみ感じております。

 

自分のすべてを犠牲にしてまで、「誰かのために」働くことができる人は少ないと思います。(少なから

 

ず自分には無理)

 

自分の人生を犠牲にしてまで、「自分の名声のために」働くことができる人もまた少ないと思います。(自分には無理)

 

 

まわりの大人を見ると、勇気がわく。でもそういう人たちも22歳の時は何も持ち合わせていない私たちと同じ若者だった。

 

いろいろ凄いことをやってきた人たちを見ると、

「かっこいいな〜」私もそうなりたいな〜

と感化されることってよくあると思います。

 

それはそれでとてもいいことなんだけれど、

なりたいからって頑張ったところで、その人みたいに大きな人間になれるかはわからないのです。

 

お金・名声・自由・仕事・家族・・

自分が欲しいものを持っている人はかっこよく見える

でも、すべて得るためにその人たちは急に30代・40代に飛び級したわけじゃない。

 

夢はかわるもの

 

小さい時に、ウルトラマンになって世界を救いたいって言ってた男の子が、

22歳、大学卒業前になってもまだウルトラマンになりたいという人は少ないと思います。

 

という仮定話がちょっと幼稚すぎるけど、

会った人・見たこと・聞いたこと・経験したことが、

人生を大きく変えるのです。

 

それは全然悪いことじゃないのです。

 

もちろん、やりたいことが変わったら、

ある程度フィールドの似た職業に転職したりするのが

手っ取り早いですが、

やりたいと思うならまったく違くてもいいと思います。

 

国連大使にならなくても良い

「将来何をしたいかな〜」と考えている時に、

国連で働いて、難民を助けたい、とか、

大使館で働いて、移民の手助けをしたい、とか、

なんだか人を助ける大きな仕事をしたいと強く感じます。

 

でも、人間一人ひとり、何をしていても価値があると思います。

 

個人的に、ストア(飲食や物販)の店員だけは将来やりたくないですが、

日曜日働いている彼らも、お役所で働いている人と同じように尊敬されるべき。

(彼らがいるから私たちは日曜日に楽しいランチができる!)

 

 

要するに

 

有名になって周りに「わ〜もえみんってかっこいい」って言われるのが生きる目的というのは、個人的に乏しいなと思います。

 

じゃあ、自分は何をしたいのか?何ができるのか?を探すにはどうしたらいいの?と思うかと思います。

 

就活は、そんな簡単じゃありません。

(みんな知っての通り)

 

「あれをやりたい!」と思っても、その仕事につけるかなんてわかりません。

 

現実的に、夢は大きくていいと思いますが、

自分を犠牲にする必要はないのです。(したい人はどうぞ)

 

なので、個人個人の目標設定は、職業でなく、もらったお金をどう使うか、どこで生きるか、誰と生きるか、が一番のフォーカスであるべきだと思います。

 

個人的には「もらったお金をどう使うか」が一番大事なので、その辺に関してもっと考えようと思います。

 

 

結果を出すということ

こんにちは。もえみんです。

 

いろいろと考えることが多い今日この頃なのですが、

最近年上の人とお話しさせてもらうことが多いので

そこで考えさせられたことをまとめようと思います〜。

 

 

出る杭は撃たれる

 

日本文化だけではなく、アジア圏、ヨーロッパ圏でも、

出過ぎる杭は打たれるものです。。

 

仕事に関してだけではなくて、

 

私の友達の中には結婚を間近にして女性友達に何か言われ、

挙式もハネムーンも全てキャンセルした、という人がいます。。

 

女性同士で結婚前に愚痴言いあったら、

嫉妬している他の女性は悪いように仕向けるのか

少し未成熟さを感じましたが、、

 

まあまあ、何にしても、自分が欲しいものを持っている人を見ているというのは

嫉妬を持たずにはいられないというのが人間の常なのですね。

 

結果が全て

 

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残念なお知らせですが、

多くの人は「過程」を気にしてくれません。

 

でも、過程が一番ドラマティックで、かっこよくて、

汗水流して頑張ったという部分…

 

残念でしょうがないですが、過程でどんなに頑張ったって、

結果が出なければ、その辺のぷらぷらしてきた人と同じように扱われるのです。

 

特に若いうちは、

「留学しました〜」

「海外インターンしました〜」

と言っても、

「そこで何を成し遂げたのか?」

「何を得たのか?」

という部分が注目されるのです。

 

「在学中に起業しました〜」

というのはとても聞こえがいいけれど、

売り上げが伸びていない、

マーケティングが甘い、

という結果であれば、

「あ〜まあサークルやるような感じで起業しちゃったのね」

と言われ兼ねないのです。残念なことに。

 

すごくもどかしいのは、

1年間海外で勉強してきた私には

「これ」と言った目に見える成果がないこと。

 

英語が堪能になったこと、

いろんな人と出会って聞いて話して、精神的に成長したこと、

様々な問題を自分で解決してきたこと、

海外で仕事をしてきたこと、

 

これらは、「過程」であって、「留学の終わりが結果ではない」という現実が立ちはだかっているのです。

 

では、何が結果にあたるのか?

 

そんなこと言ったら、「結果」なんていつまで経っても成り立たない〜と、ダークサイクルに飲み込まれている私です。。

 

でも、例えば、私だったら、IELTSとかTOIECが目に見える英語の評価なのかな、と思います。

 

先日、東京都の教育委員会の英語担当の方とか、JTBの教育旅行担当の方とかまあいろいろな人がオークランドに来て、大学や高校を視察して回っている中のミーティングに参加させていただいたときに、

 

「お〜!!」と言われたのは、留学前に取ったTOIECとIELTSの点数だけでした。

 

他に発言させてもらったのは、ピアメンターというティーチングメソッドやSelf Access Learning Centreの普及と研究の促進に関してですが、若い私が説明しても、あまり興味を持ってもらえずに終わりました。

 

特に女性は、「だから何?」という感じで流そうとしている雰囲気がとてもツラかったです。汗

 

それもそのはず、Peer MentorもSelf Access Learning Centreも、結果ではなくて過程を後押しする場所であって、そのティーチングメソッドの結果が私であって、その結果はIELTSのポイント等でしか見れないのです。

 

それから、私の友達はカーレーサーなのですが、

彼にとっての「結果」は「勝つか負けるか」で、

勝ってきたから彼は尊敬され、

彼のビジネスとしてレーシング学校が儲かるわけで、

儲かれば儲かるほど、それも結果として上乗せされるわけなのです。

 

勝ち負けがない職種の場合は、

  • 売り上げが伸びた
  • 任されていたプロジェクトを成功させた
  • 誰かを助けた

などが結果に当たるのです。

 

 

だから何って?

 

要するに言いたいことは、

「これをやってきて〜あれは大変で〜はははこうやって乗り越えたさ〜」

というのはただの自慢話であって、

それで嫉妬を勝っても自業自得なのです。

 

自分は、「へ〜もえみんってすごいね〜」

って言われるのが高校の時から嫌いだったのですが、

同じ目線で見てくれる人とシェアしあうのは大好きです。

なんか二つの人生を一気に体験している気になります。

 

個人的にシェアは悪いことじゃないし、自慢するわけではなくて、

私はこうしてきた、私もこうしてきたよ、あ、じゃあ自分のしてきたことは正しかったんだ、というような気づきのプロセスの方法としては大事だと思います。

 

私は、一人で考えることも好きだけど(書いてまとめることが好き)

書く前にたくさんの人と話して、自分の中で結論を整理したり、

他の人の意見を聞いて、「あ〜こうかな、やっぱりあーかな?」と振り返って見ています。

 

まとめ

 

中には30代、40代だから、(年上だから)という理由で、「結果を出してから発言しようか」となだめてくる奴らがいましたが、「お前に言われたくねー」というように反発してきました。

自分の中で本心から納得できる結論に至るまでかなり長い時間を要しましたが、身近な信頼の置ける大人たちが身を持って今日書いた事を示してきてくれた事にとても感謝しています。

 

ありがとう、結果を出してきた大人たち!!

 

ということで、出る杭は打たれますが、結果を出せば出っぱなしでいいのです。

 

もえみんでした。